直近、マールアラーゴ合意なるものが国際金融秩序の再編のために行われるのではないか、との観測があるようなので、そこに絡めた複数の論点についてまとめてみたい。
なお、本記事を読み進めるにあたって、これらはメインシナリオではないし、ある種の想像に近い、ときに陰謀論とも言われるものを含んでいる余地がある、ということを予め申し添えておきたい。
目次
国家債務と通貨価値
国家は自国通貨建てて国債を発行している限り、財政赤字を拡大してもデフォルト(債務不履行)することはない、というのがMMT(現代貨幣理論)としてあるのは知っている人もいるだろう。だから国債は無限に発行でき、財政を切り詰める必要はない、という主張である。
実際のところ、こうした経済理論で未来を語るのは難しく、なぜならそこで引用されるのは、国家債務が膨れ上がっている国でも皆が信頼しているし、逆に対比としてはそうでなくても国家破綻している例があることである。体感としては、借金は少ない方がいいし、入ってくるものが出ていくものより多い方がいい=財政黒字、の方がいい、とは思うものの、借金が多くてはダメだ、財政赤字続きではダメだ、という結論もすぐには導かれない不思議さがここにあるわけだ。
日本はもうダメだ、だから通貨価値が暴落するのだ、というのも感覚的には合っているし、論理的にも合っている可能性もあるが、同時にそう簡単にそうはならない現実もある。
トリガーがどこかにあるのか、あるのかどうかすらよく分からない。一つだけ言えるのは、通貨の信用が崩れ去るときは早い、というのが歴史的観測事実である。
破綻していない、は演出され得る
富裕層を含む債券投資家は「債券は安全である、中でも米国債は安全である」という考え方をベースに持っている。必ずしも全面的に正しいわけではないが、債券の性質を突き詰めれば、発行体が約束通りお金を払ってくれればいい、つまり発行体が破綻せず、支払いを続けられる状態ならばいい。
国、とりわけ米国に関しては破綻し支払いを拒む自体は未だかつて起こっていないことで、誰もそのとき世界に何が起こるか想像だにし得ない。アンフェアかもしれないが、金融に長く携わるものとしての回答は「その可能性は限りなく低いとされている」となる。
ただ、破綻していない、を演出され得ること自体は、2023年にクレディスイスがUBSに救済買収されたことで認識した人もいることだろう。株式価値が毀損されないままに、一部の債券保有者がその債券の全ての価値を失ったのである。
破綻していないのにおかしな話だった、というのは世の中の考え方として間違ってはいない。当然様々な議論が未だにあるし、国は株式を発行していないので参考にならないという人もいるかもしれない。実のところ、クレディスイスの経営が傾いたのは間違いないが、破綻したという事実はないし、したがって世の中の人もそうは思っていないわけだ。舞台裏を覗きたくなるほどの政治ショーだったのかもしれないが、世の中の混乱を封じた意味は計り知れない。民間企業ですらこの状況なのだから、国家ではどうなるかなど分からない、と考えてもバチは当たらない。
ここで学んで欲しいのは、債券に係る支払いを滞りなく行うこと=債券投資家にとってのメリットが、その他全ての利害関係者(従業員、取引先、利用者、社会、etc.)にとってメリットを意味するわけでは必ずしもない、という点である。
あるいは、ときに債券投資家にとっても、この”滞りなく”の部分を交渉によって断念し、“一部でも”を受け入れることがそのときの債券投資家の最善の回答にすらなり得るわけである。大丈夫、と思う前に、いざというとき何が起こるのかを整理することは悪いことではない、もちろん答えの出ない部分を受け入れないといけないわけだが。
ドル安誘導と金利引き下げ
奇しくも分かりやすい直近事例があり、それは日本である。インフレが起こりつつも自国通貨安状況に置かれ、そして金利を定位に留めおくことは、日本国としての債務減免の要素がある。増税も加われば、歳入増加歳出減少なので(根本的に解決しているかは別にして)財政は数字上改善する材料となる。
自国通貨は強い方がいいかどうか、これも様々な議論があるが、やはり国の信頼の証ではある以上、弱すぎない方がいいのは確かだろうか。通貨が強ければ対外投資はやりやすくなるし、外国での買い物だってしやすくなるのは比較的万人が理解しやすいだろう。
だとしたらわざわざ通貨安に誘導するなんて考えづらい、と思うかもしれないが、国という経済主体が財政のことを考えるなら、やはり債務負担は軽減したい。とりわけ国債による債務のツケは未来の国民に最終的に帰属する、と言われる。
国が成り立つには、領土、国民、主権の3つが必要であるというのは、義務教育でも習う。他国の国民はともかく、自国の国民は守らねばならない、それは国家として当然のことである。自国ファーストとも言われる、トランプ政権において、財政を抜本的に改革していることは外からは分かりづらい面があるが、決して日本風の抜本的改革ではなく、破壊と創造に近い、とだけ言っておこう。米ドル安誘導、そして金利引き下げは財政を改善し得る、という一点においてはやはり意味がある。
米ドル高は現時点で米国にとってメリットが上回るし、そのスタンスも変わらないが、持続的な経済不均衡によって、そしてそれに伴うディールによって他のメリットに置き換えられるときが来るとしたら、そのときわざわざ堅持するものではないのかもしれない。
国内投資家と外国投資家の区別
国際分散投資だと言いつつ、せっせと外国に投資をしている人は多いとは思うが、金融市場において混在するこれらの投資家は、国内投資家と外国投資家に区分され得る。もちろんそんなことは普段意識することはないくらい、国際金融取引はスムーズに行われている。
ただ、サウジアラムコの上場時のように、国内上場と海外売り出しを分けて行うケースもあるように、順番を間違えれば、国内の人が損をしてしまうかも、という思惑はあるのである。ロシアの例でも、国内の投資家はまだ取引ができる状況でも、海外投資家による株式取引を制限する、ということはある。つまり、国内の損得は政策決定の一つの要素である、と考えられる。副作用があるとしても国内は小さく、国外は大きくを選びがちである。
具体的には、トランプ政権においては、外国投資家が保有する米国債を超長期国債へと交換を強制する、債務スワップが検討されている、といううわさである。本当に実現すれば、あと数年で元本が返ってくるはずだったものが、何十年も返ってこなくなる、という状況になるわけだが、このような方法で返済を先延ばしにされた末がどうなるか、いうのは想像に難くない。ここに深謀遠慮があるのかは分からないが、少なくともトランプ氏よりも国が先立つ、ということはなさそうなのかもしれない。
こうした施策をやるとしたら劇薬であるのは確かなので、やはりそれを飲む順番としては効果的で副作用が少ないところを選ぶことにはなる。外国投資家かつ富裕層が一番切りやすい、と考えるのは別にアメリカに限った話ではない。
マールアラーゴ合意は現実に起こるか
1985年に米ドル高是正のためにいわゆるプラザ合意が行われたことを知っている人は多いだろう。とても大きな影響があったし、日本はその後バブル崩壊を迎え、失われた30年に突入したわけである。今回は、トランプ氏がしばしば要人を招く、フロリダの邸宅の名前から、マールアラーゴ合意と既に呼ばれているが、現時点で何か合意があるわけでもなんでもない、ただの憶測ではある。
トランプ政権移行後、国際秩序は変わりつつあり、その後国際金融システムが大きく変化を迎える可能性は十分にある。それはきっと時代に合わせた社会全体でのメリットには繋がるが、個々人にとってしっかりと立ち回る必要のある、劇的な変化となり得る、という点は認識しておいても悪くないのかもしれない。ただ、過度に反応すべきものでもないので、米ドルにあまりに厚い信頼を置いている場合は、他にも分散を始める、というくらいの対応が現実的なのかもしれない。