「年末までに米国株式市場は数十%下落すると予想」などというニュースのヘッドラインを見ることはあると思います。でも、本当にその予想が当たったことを確認する人は多くありませんし、私の経験上も実際当たっていることは少ないのではないかと思います。だとしたら無視すべき話なのか、ということを議論してみます。

そもそも暴落率を当てることはできるか

株式市場の予測は難しい、そのことは誰でも知っていることではありますが、様々な数字や根拠を用いて専門家が予測を試みているのは言うまでもないことです。素人では分からないことも専門家だったら分かるのではないか、そう思って聞いている人も多いことでしょう。

ほとんどの投資家は株式を購入し、保有している間に株価が上昇することによって利益を得る立場にいます。したがって、株価が暴落する、というのは起こってほしくない出来事でもあるわけですから、もしその可能性が高まっているのだとしたら特に重要な関心事となるのは確かです。

日々上下する株価に対して、暴落“率”の話ができるのはなぜかというと、それは歴史的な経験や、観測された数字に基づいた近似値ということになるでしょうか。金融機関でもストレステストというのを行なっており、逆に言えば、何%下落したらそれぞれの資産状況はこうなる、といったシミュレーションの「前提」でもある、と言えます。暴落が起きればある種のパニックを誘発するものの、それ以上のパニックが起こらない限界点のようなものが存在すると仮定し、それがどのあたりなのか、という話でもあるわけです。

未曾有の危機が起こらないという言説を否定はできないものの、例えば過去に“未曾有の危機”だったときはどうだったのか、と言う話は少なくともできるわけです。

株式投資は博打か

そもそも株式投資を博打の対象、狂乱の象徴である、というふうに考える人は一定数います。親が株で失敗しているのを見て育ったからそう思うというケースもあれば、取引先や勤務先の倒産に巻き込まれて人生が周回遅れになったからそう思うというケースもあるでしょう。それらも一つの大切な教訓ではありますが、株式投資が博打になるかどうかはどのように株式投資に取り組むかによります。と、同時に株式投資には必ずリスクがあり、元本を全て失うこともあり得る、という事実は捨て置くべきではありません。

道具も使い方次第では凶器になる、というのと同じで、正しいあるいは意図したとおりの使い方について学ぶ必要があるわけです。もしもそうでない状態で、ボタンをポチポチするゲームのようなものになっていたり、人生一発逆転の宝くじのようになっているのであれば、それはきっと博打であり、投機であるのは確かでしょう。別に自分のお金を雑に扱おうと外野が何かを言う権利はありませんけれども。

過去の暴落率として意識すべき数字

暴落すると言っても、たった一日でそれが起こるわけではありません。皆んなが皆んな毎日市場に向き合っているわけでもないし、暴落に対して我慢できる度合いが皆んな同じではないからです。一般的には暴落は複数年かけて起こっている、ということになり、短期的に起こるものは“調整”という言葉で片付けられていると言えます。

一つの基準としては、単年で40%、複数年で80%くらいを覚えておくとよいでしょう。オイルショックやITバブル、リーマンショックなども概ねこの範疇です。これは十分に分散された米国株式投資を行なっていた場合の話です。逆に十分に分散されていなければ動きはこれ以上に激しくなり得るということでもあります。

たった一日で起こるわけではないのだから、そんな馬鹿正直に暴落と向き合わなくとも、上手く逃げ切ることもできるのではないかと考える人もいますが、現実はそう甘くありません。ある日突然暴落に見舞われる可能性は排除されず、そしてそのときに正しい対応を求められる、あるいはもともとリスクを向き合っていなかったのであれば、リスクを心底実感する、ということになるわけです。

暴落してもなお上昇するか

投資を始めるにあたって暴落するのを待っている人は少なからずいます。それより下がることがない底値だとしたらこれにもまして良い投資の始まりはないと考えているからです。人々が投げ売りをする資産の中には、本当は価値があるのにやむを得ない事情で手放すものが含まれている確率が高い、というのはあながちハズレではありません。だとしたらいずれ価値は戻ってきます。

でも、こうしたタイミングに運良く出くわすかは分かりませんし、出くわしたとして適切に立ち回ることができるとも限りません。高値掴みをしたくないし、しないのは大切なことではあるのですが、下落したものに投資をするという発想だけだと、最後のババを引かされてしまうこともあり得なくはありません。

ついでにいうならば、暴落した後にすぐにまた上昇してくれれば安心もするし、良い投資だったと言えるけれども、その後数年上昇することなく、何だったのかと思ってやめた頃に上昇する、ということだってありますよね。

リスクを受け入れよ

資本主義というのはリスクを取らない人間からリスクを取る人間へのリターンの移転という側面があります。ただそのリスクも、乱暴に取った人間から賢く取った人間へのリターンの移転もあります。誰も予言者として未来が見えているわけではないからこそ起こることでもあります。未来が不確実であるという頑張っても消えることのない大きなリスクを避けようとするコストは高いのかもしれません。適度にリスクを受け入れられたなら、人生はよりバランスのよいものに変わっていくと考えられます。

株式投資でも米国だったら間違いない、といったこともある種リスクを避けようとする動きであり、他にあった選択肢を永久に埋没させてしまう可能性を秘めているわけです。

地に足のついた計画を

人間は自分のコントロールできないものもコントロールしようと頑張ります。でも実際にはできないことが必ず存在していて、できないことを悩んだり、嫌がったりします。

株式投資において、暴落を防ぐ力が各個人にあるわけではないし、仮に国家レベルでも決して容易ではないことは歴史が示す通りです。

だとしたらもっと自分にとってコントロールしやすいところに注力し、無理をせず、地に足のついた計画を立てておくこと、そしてそのなかで株式投資が結果的に追い風となってくれたなら御の字として享受する、ということになるでしょうか。

結果的に、暴落予想を無視して突き進むのではなく、そうなったとしても無理がないと言えれば続けていくことはそれほど難しくないように思いますが、いかがでしょうか。

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