思いがけず手に入ったお金はどのように扱っているだろうか。何か自分へのご褒美にするか、貯金に回すか、その使い方に注目してみよう。

棚ぼた式に手に入るお金

棚ぼたとは、「棚からぼた餅」ということわざの略であるが、要は思いがけず得た利益のことである。

“思いがけず”にも色々あって、道端で1万円札を拾ったとき、会社のボーナスが予想以上だったとき、親戚から数億単位の相続をしたとき、などが挙げられる。

本稿では、予期しているお金と予期していないお金では、人間の心理が異なり得ることを理解してもらいたい。

今まで棚ぼたを経験したことがないという人も、いずれはそういうタイミングに遭遇するため、そのときにどうお金を扱うか、というのが非常に重要になってくる。

棚ぼた研究の成果は

思いがけず、まとまったお金を手にした人の行動について調査した研究は多くはない。だが、似たような例でいうと、宝くじで億万長者になった人はその瞬間は幸せだと答えるが、1年後も同じく幸せだと答えるかというとそうでもない、という話を聞いたことがある人はいるのではないだろうか。

棚ぼた式に手に入るお金については、貯蓄に回す人よりも消費に回す人の方が多い、というのは一定の検証結果があるとされる。

クーポンをもっているときは、もっていないときに比べて(クーポン分を除いても)消費が増えた、ということはないだろうか。

割引セールをやっていたら、割引かれていることを言い訳に必要ないものまで買ってしまった、ということはないだろうか。

思いがけず手に入ったお金で買うものは、普段欲しいと思っていたものではない、ということまでありうる。

どのような経緯で手に入ったとしてもお金はお金である。なのになぜ予期しているお金と予期していないお金で人間の行動はかくも変わってしまうのだろう。

棚ぼたと労働収入の違い

棚ぼたにおいては消費が選ばれやすいのは、それが労働収入でないことに一番の理由がある、ともされる。あるいは自分のものになりきっていない感覚があり、すぐに権利を確定させたいという欲に駆られる、とも考えられる。

労働収入においては、自分が働いたという一定の自信と提供した対価が存在する。したがって、労働収入をぞんざいに扱うと、なんだか損をした感覚にもなる。「汗水垂らして稼いだお金」という言い方が昔からなされているのにはこのあたりにも理由があるのだろう。

棚ぼた収入の場合、自分は何も提供していないという感覚があり、それが労働収入と同額であったとしても、“大事さの度合い”が変わってきてしまう。

あるいはその大事さの度合いの違いを利用した企業の戦略なども存在することになる。例えば、ボーナスは何ヶ月分と何となく決まっていたとしても、それを毎月の給与に上乗せしてボーナスはなしとなると心持ちは違ってくるし、客が割引セールにお得感を見出すならば、元々の価格を高く表示して、大きな割引率であるかのように見せる、というのも考えられる。どちらも本質を見抜ければ意思決定に影響はないが、心理的な影響があることは分かるだろう。

今後への重要な示唆

お金に関する意思決定は、ストレスがかかると途端に正常ではなくなる。資産運用で利益が出たとしたらすぐに利益確定をして消費したがるのに対して、損失が出たとしたらすぐにでも取り返したいと必死で行動する。

少し整理をしよう。

入ってきたお金、出ていくお金には、予期しているものと予期していないものがある。

予期して入ってくるお金、予期して出ていくお金に対して人は冷静な判断を下す傾向がある。一方、予期せず入ってくるお金、予期せず出ていくお金には心理を優先させる傾向がある。

資産運用には運の要素があると思っている人が多く、それは予期せぬものである。だから心理を優先させて動くことが多い。そこに賢明な判断は伴いづらい。資産運用が難しいと思うのは得意/不得意の問題ではない。そもそも扱い方を変えるべきお金なのだから。

予期せず入ってくるお金、予期せず出ていくお金の取り扱いは全く別のものとして考える必要があるのである。

もしこの線引きについて考えたことがなかった人がいれば、線引きをした上で、自分がそれぞれのカテゴリに対してどのようにアクションしているかを記録してみるといい。混ぜこぜにして考えない、というのがまずは大事であり、次に、予期せぬお金に対する扱い方を意識することが重要である。全てが完璧にできている人は多くはないし、線引きができていなければ、本来上手く扱えている部分に対しても自信を失ってしまうことになりかねない。

カテゴリを意識した上で、予期せぬお金に対する扱い方が上手くなるようであればそれでいいし、そうでないならばアドバイザーなどとよく相談をして決める癖をつけると良いだろう。

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