投資活動には未来の不確実性がある。むしろ未来は不確実であるからこそ投資が成り立つとも言っていい。しかしながら、多くの投資家はその未来の不確実性とどのように向き合うべきかという質問に対する答えを持っていないのではないか。本稿では、予測・願望・心配という未来の不確実性に対する見方について触れてみよう。

未来の予測

予測、と聞いて思いつくもので最も身近なものは天気予報だろう。長年のデータに基づいておおよその見通しが立てられている。1ヶ月先の予報は当たりづらいが1週間先の予報は当たりやすい。でも、当日の予報ですら絶対に当たるとまでは言えない。天気予報とはそういうものだ。

一方、新聞やニュースで、専門家から様々な意見や見解が寄せられるのを読むかもしれない。事実と意見を区別することはまずポイントだが、意見に関してどのように向き合っているだろうか。意見が未来の予測の面があることは誰も否定はできない。

金融市場に例えるならば、米国の雇用統計やインフレ指標のデータが発表になり、それに基づくと米国の中央銀行は次回の会合で0.5%の利上げをするに違いない、と人々は予想を始める。もちろんそういうことをするのが悪いと言っているのではないが、これは予想であり、予測ではない。ちょっと意地悪な言い方かもしれない。

予測とは、十分に証明されたモデルに基づいて、未来に起こる結果について大きな確信を持てる状態を表す。天気予報はそういう意味では予測なのである。

それに対してドル円の最高値は140円/ドルである、というのは予測だと言っているが、どんなに著名な為替ストラテジストであっても実際は予測ではない、ということになる。投資活動において出てくる未来“予測”の多くはこの程度のものであることを知っておきたい。

未来の願望

金融市場における予想をもっとよく見てみると、未来の願望に近いことを感じるのではないだろうか。

自分は日経平均株価を〇〇円で買った。今は△△円で含み損を抱えている。だが、今の経済状況を鑑みればコロナが収束して○○円に戻ってくることは不自然ではない。だから損切りをせずに保有し続けよう。

ここに果たして予測と呼べるものはあったかというと、もちろんない。では、予想と言えるものがあったかというとそれもほとんどない。どちらかというと、ただそうなって欲しいし、そうなってくれないと困るし、そうなってくれる可能性を信じたい、つまり願望にすぎないわけである。

未来の心配

物事を良い方向に考えるのが先ほどの願望であったが、物事を悪い方向に考えるのは心配である。

自分はあるファンドを□□ドルで買った。今年に入ってパフォーマンスは良かったが、近い将来にリセッションになるのでは、そしてそのときはこれまでにない下落幅で投資価値が下がるというニュースが多い。今のうちに利益確定をして、投資ポジションを解消しておく方が吉ではないか。

ここに果たして予測と呼べるものはあったかというと、もちろんない。一見すればニュースという客観的な意見を取り入れているかに思えるが、やはり悪い材料を集めているにすぎない。どちらかというと、そうなって欲しくない、そうなってしまうと困る、そうなってしまう可能性からいち早く逃げたい、つまり心配にすぎないわけである。

投資家としての分別

投資活動には予測も願望も心配も確かに存在する。ただ、投資行動を決める上で、何を根拠にすべきかはあなたにとっての投資の意味による。子どもを立派な大学に生かせるのに必要な資金や、リタイヤした後に生きていくための資金を、誰かの予感だとか願望だとかに基づいて行う投資に回したいと思うだろうか。

願望を抱き、心配を抱え、予測を立て続ける投資活動ははっきり言って疲れる。もちろん一時の楽しみのようなものがないとは言えないが、いずれ熱は冷める。そもそも何のために投資を行っていくのかを見失ってはいけない。

ここに投資家としての分別が存在する。

生きてきた数十年で世の中が大きく変わったのはそうだし、多分次の数十年もそうだと思う。もちろん次の時代がどのようになるのかを具体的に予想することはできる。しかし、分別を持って考えるならば、どう変わるかを当てようとするのではなく、世の中は変わり続けるものだ、という視点にとどめることが大事かもしれない。

つまり、変わり続ける世の中を自然とアップデートして投資を続けられるならば、どの時点に立っても投資経験としては良質なものにはなってくるのではなかろうか。

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