多くの投資機会は商品ありきで話が展開するが、実際は投資家自身の投資の知識や経験に照らして適時適切な投資機会に接するのが良いとも考えられている。しかしこの投資の知識や経験というものをどのようにして測るのが一番良いのだろうか。
目次
投資の知識
投資について知識がある、とはどのような状態なのであろうか。
- 本やニュースで見たことがある
- 具体的な投資案件を検討したことがある
- 大学で金融について勉強したことがある
- 金融関係の資格を持っている
随分濃淡があるような気もするが、知識と十把一絡げに言うのであれば、どれも知識ではある。ブレークダウンしてみると、自分自身がどのようなバックグラウンドの知識を持っているのか、客観的には見えてこよう。
知識があるか、ないか分かったのであれば、次はどのくらいの知識があるか、という話になる。ここに難儀する人は多い。なぜなら、金融のプロとして働いたところで、資格試験に受からないこともあるし、投資のある一分野に秀でていても、他の分野はてんで理解が及ばないことだってあるからだ。
これもできるならブレークダウンしてみて、あるいはリストアップしてみて、興味あるなしに関わらず、どのような投資が思い当たるかを整理してみると良い。
投資の経験
投資について経験がある、とはどのような状態なのであろうか。
- 株式を購入したことがある
- 積立投資を行っている
- 年金を支払っている
- 投資詐欺に遭ったことがある
- 投資で一発大当たりしたことがある
- 投資からの収入が存在する
これもまた随分濃淡があるが、やはり経験であることに変わりはない。パッと思いつかない人は、お財布から出ていったお金がいつかは手元に戻ってくることを期待しているのかどうかを意識してみてもいいかもしれない。戻ってこない性質のお金は単なる消費であり支出である、とも考えられる。案外投資だと思っていないものも投資の一種として考えていいものはある。
経験があるか、ないか分かったのであれば、次はどのくらいの経験があるか、という話になる。難しいのは多くの人は何らかの形で投資を行なっているが、自分自身を投資家だと認識する人は少ないし、そう自認し周りにもそう伝えるからといって大それた投資をしているとも限らないからである。
単純に経験値、あるいは結果を評価する前に、そもそも投資にどのようなプロセスがあったかをブレークダウンしてみるといい。必ずといっていいほどプロセスが存在することが分かる。
知識や経験がない場合
投資に限らず、物事には初めて触れる瞬間が必ず存在する。単にそれがいつなのか、というだけである。早ければいいというものでもないし、遅くてもいいかというとそれも単純な話ではない。もちろん初等教育のように、誰でも同じようにできるだけ初期に学ぶべき要素、というがあるのではないか、というのは間違っていない。ゼロとイチでは時間が経てば雲泥の差になるかもしれない。
知識も経験もない投資をすべきでないのか、という点は多くの人が悩む。もちろん悩む以外にも、単に疲れるし、分からないことが分からないし、ということだってある。しばらくやっていなくて感覚が鈍っている、と答える人もいる。
では準備運動やウォーミングアップのようなものをしたり、あるいはそういうことに取り組むべきなのか、というと、いきなり大きな意思決定をするよりはそういう心持ちがあることは安全バーとしては働くと思う。あるいは誰かに相談する、ということも有効である場合はある。そのときは、目の前の投資をすべきかすべきでないかということ以外に、そもそも自身の置かれた状況について相談することをお勧めしたい。
知識や経験が釣り合っていない場合
資産があることと、投資に関する知識や経験があることはいつも釣り合っているとは限らない。たくさんの貯蓄を持っている人は単に堅実に貯金をしてきただけかもしれないし、あるいは、一生懸命働いて定年退職し、その結果退職金をたくさんもらっただけかもしれない。あるいは、コツコツと投資を続けて、資産を伸ばしてきた人なのかもしれない。
資産に対する思い入れもその形成過程の違いによって違ってくることがある。働いて稼いだお金だから一円も失いたくない、と答える人は少なくない。親から受け継いだものは、そのまま子に受け継ぐべきだと答える人もいる。毎月通帳の残高が増えていくことは励みになるのに、ある日突然宝くじや相続で多額のお金が入ってきたら、何だか落ち着かないという人だっている。
資産額に応じて取り組める投資が違ってくるか、という点で言えばそれはそうとも言える。資産額が多いからといって何か小難しいことをすべきかというとそうでもない。結局のところ、知識や経験が釣り合っていなければどこかぎこちなかったりするものである。無理に背伸びするのではなく、窮屈でない位置を探すのも大事である。その上で新しい機会に目を向ければいいだけの話である。
知識や経験がある場合
知識や経験があることは資産額とはまた別の軸で非常に重要な財産である、と言える。だから、自分を小さく見せたりする必要はない。が、知識や経験は他人からは実はよく分からないので、大きく見せすぎてもあまりいいことはないのかもしれない。それに、たとえば金融機関に30年以上勤めていたら、金融のプロかといえば、知識と経験の意味ではそのようには思えるが、一方で本人が自分のために投資に一生懸命になってきたかというと必ずしもそうではない。少しブレークダウンするなら、仕事では知識と経験があるが、プライベートでは知識と経験がないという話なのだが、このバランスを上手く取れる人もそれほど多くはない。
また、自らのことを投資家だと答える人は知識や経験もあるかもしれないが、こだわりすぎるあまりに今度は本来プライベートだったものが仕事に変わっていることはよくあり、これも本人がもともと目指していたものと少し違った位置に来てしまっていないか見直す必要がある。
まとめ
少しとりとめがない話だったかもしれないが、投資とどのように付き合っていくか、ということを整理することは長く続けていく上で重要なのは間違いない。距離感を間違えると上手くいくものも上手くいかなくなるからである。誰かの真似をすることだけでなく、この自分なりの距離感を見つけてもらえれば、知識や経験は自ずと血肉となってくれることだろう。