少しキャッチーなタイトルにしてみたが、何も危機感を煽りたいわけではない。

たまたま、『このままでは国家財政は破綻する』という論文が財務省の事務次官から寄稿され2021年10月頃話題となったので、香港にいる私も少しだけ便乗してコメントしてみようかと思っただけである。

この手の話題は真新しいものではなく、そして尽きないものであるが、改めていくつか論点を解説してみたい。

日本という国家財政の現状

簡単に数字の振り返りだけしておきたい。

令和3年度の歳入は当初予算において約107兆円(見込み)とされている。うち約54%が税収、約41%が公債金、つまり、半分近くは借金をして支出をする計算になる。

令和3年度の普通国債残高は約990兆円(見込み)とされている。毎年公債は発行されており、残高としては毎年増加の一途を辿っている。金利は現在発行される国債の場合は低いとは言え、歳出においては約24兆円と全体の2割以上の支払が国債に由来する支出項目となる。

借金の規模に関して言えば対GDP比で、諸外国と比べて大きいとはされるものの、そのことそのものが財政破綻に直結するわけではない。直近行った消費税の増税により税収が改善している面もある。

このあたりはより詳細には財務省もしっかり発信を行っている。

コロナ危機の総括

新型コロナウィルス流行で国家財政が悪化したのは間違いない。そして国民を守るために行った支出は必ず将来のツケとして国民に返ってくる、ことはなんとなくでも分かっている人は多いと思う。

もちろん、格差是正の部分はあるので、一人ひとりにとってプラスマイナスゼロになるわけではない。国家が国民のための経済活動をしている以上、国家の助けを借りて一時的にコロナを乗り切ったにも関わらず、今度増税して回収するとなって反発がそれなりにあるのは不思議といえば不思議ではある。

財政が悪化したというのだから、財政破綻の確率は(大きいか小さいかは置いておいて)前よりも上がったと考えるのは何も不思議ではない。もしそうでないのであれば、既に財政がその分だけ良くなる公算であるということになる。

ただ、本来はこれで間違っていない。不況を乗り切るための財政支出は好況における税収増で穴埋めされることが想定され、そして景気にはサイクルが存在するからである。

では好景気にならなかったらどうするのか、このことは非常にチャレンジングである。学生時代にカーメン・ラインハートとケネス・ロゴフによる『国家は破綻する(This Time is Different)』という本を通じて、国家破綻のトリガーについて議論したが、結局はアカデミックな世界の話であってリアルがどうかまでは分からない。

ただ言えるのは、国家は破綻しない存在ではない、ということは過去の他国の事例を見れば分かる、ということである。そして破綻したらどうなるか、ということも過去の他国の事例を見れば分かる。

日本では特にバブル景気以降は目立って経済が伸びているわけでもないという体感があったにも関わらず、「いざなぎ景気超えの景気拡大」と2019年にかけては日本では記録されている。にも関わらず国家の抱える借金はここで減ることなく、そしてさらにコロナで増える道を選ぶこととなった。

日本にとってのブラックスワン

恐らく日本政府として想定されるシナリオに収まる場合には、財政破綻というのは未然に軌道修正が可能であると考えて良さそうだ。もちろん軌道修正といっても、国民により多くの負担を強いることは想像に難くない。

ただ、問題は、政府が想定し得なかったか、あるいは想定はしていたが、そうなったらどうするかのアクションプランが急展開を要する場合には、要注意であることは言うまでもない。国家として存続するための生命戦争に切り替わるからである。

もっとも単純なのは国家としての非常事態として、戦時下に突入するというシナリオである。コロナでも実際に国家総動員法に近いものを適用した国もあるが、あくまで見えないウィルスとの戦いであった。例えば、核ミサイルの脅威が差し迫るか、あるいは実際に攻撃を受けるようなことになれば、国土と国民を守るためには理論上はあらゆることを想定することになる。

戦争以外で言えば、1997年頃にはジャパン・プレミアムという言葉があり、これは日本の金融機関が海外の金融市場から資金調達するときに(日本の信用力の悪化に起因して)上乗せされた金利である。つまり、海外に助けを求めるハードルが高くなることであった。今ではそれほど意識されないが、日本が危機的状況である、と海外から認識されれればされるほど、日本としては行動しづらくなり、悪循環(スパイラル)に陥る可能性はある。つまり、外圧によっても日本は破綻への輪舞曲を奏でることになり得る。

さて、国家として国民からツケや前借りをするために欠かせないのが以下になる。

預金封鎖

国民生活の多くは銀行の利用に頼っている。これからの時代はデジタル通貨だと言ってはいるものの、仮に銀行が預金を封鎖する事態において、昔は取り付け騒ぎが起きる前にいち早く預金を引き出して紙幣にするのが勝ちであった。デジタル通貨で果たしてそれが起きるだろうか、というのは次の時代の問いであり、取り付け騒ぎの根拠はまさにその危機管理行動そのものであって、預金封鎖はそれによって国家が回収できなくなるリスクから守るためである。日本は実際に1946年2月に預金封鎖を行い、膨大な政府の負債を減らすために利用したとされる。

財産接収

国家の力が及ぶ範囲では当然ながら限界があるので、私有財産に関しても没収を図る、ということは最終的にないわけではない。仮に他国に侵略されたならば、私有財産も何もあったものではない。もちろん、土地接収などが私有財産として合法的に行われたとしても、結果的に支払われた代金などがインフレなどで紙切れと化してしまうことだってあり得る。あるいは資産に対して異例に高い課税を行うということもあり得る。

財政破綻に対するリスクヘッジ

今すぐに財政破綻するわけでもないし、財政破綻すると決まっているわけでもないので、危機感を煽るコンサルタントには常に要注意ではあるが、ただ、では財政破綻の先に一体何が待っているのかを知り、リスクヘッジしたいと思うのも別に変な話ではない。

自分自身で資産を構築

国家の財政が悪化すれば、当然ながら自分自身の生活に対する国家からのサポートは徐々に失われる。年金であったり、介護サービスであったり、日常のライフラインの多くを国家に依存していることに気付くことだろう。徐々に失われるサポートの中で果たして自分自身がそのサポートを最後まで受けられる優先順位の高い人なのか、という話になってくる。この記事を読んでいる人の多くはそうではないだろうから、国家によってそのサポートの程度を左右されない自己資産を構築することは一つの方法である。財産は私有できるからである。

現実問題として海外移転

一方、国内で資産を構築したならば、残念ながら私有権がなくなれば最後は国家のものである。(と解釈される日が必ずくる。足掻くだけ無駄だ。)だから、別の国家を頼ることは現実問題となり得る。もちろんこのような状況はかなり極端であるとは言えるが、戦時を経験した世代とてまだ生きているのだから、これから私たちが生きる未来にそれが絶対に来ないと仮定することもないであろう。「日本とともに死ぬことはできない」そう思って、海外への資産移転を選ぶ人がいることも頷ける。

なんとなく、日本の財政状態はダメなんじゃないか、から始まり、あれ、いよいよ大変ではないか、そして、もうダメだと気付いた頃にはもはや海外に資産を持つことすら許されていないかもしれない。しばしば「茹でガエルの理論」を引用して話されるものである。

生きるか死ぬかを考えるときに、なり振り構うことはないのかもしれない。カルロス・ゴーン氏の渡航は是非は置いておいて、日本か他国かを隔て資産と身柄を守るという一つの現代における例だったのだろう。

「日本が財政破綻する」もオオカミ少年として終わるのであればそれはそれで平和なのは確かだ。

少なくとも国家のお財布事情である財政状況くらいには一国民として目を通しておくことはできるだろう。

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