長期分散投資は合言葉のようになってきたが、頭のいい人ほど否定をする傾向があるともされる。そもそも長期分散投資とは何を意図したものなのか。

長期分散投資の弱点はスピード不足

長期分散投資で二桁のリターンを毎年あげることは現実的だろうか。あるいはもっと上を狙って20%以上をあげることは可能だろうか。

答えはNoといっていい。

もしそれが実現するのであれば、世界の名だたる投資家は軒並み20%以上の投資リターンをあげているだろう。長期分散投資では毎年10%でも難しいかもしれない。

長期分散投資のもたらすリターンに対する期待値は過剰であってはいけない。

逆に、1年後に資産が20%増えていなければ絶対に困る、と言う人は長期分散投資を選んではいけないわけだ。集中投資によってしか達成し得ない。

ではなぜ長期分散投資が巷で薦められるのか。

要は、目的地に着くためにどのような乗り物に乗るかである。

時間をかけて、乗り物酔いすることもなく、向かうことを好むか、多少荒い運転でもいち早く到達することを最優先するかである。もちろん辿り着けばいいが、途中で事故にあってもそれはあなたの決断であった(リスクテイクであった)、という他ない。

多くの人はリスク回避的である、というのと、リスクをとってスリルを味わったところで結果は同じかあるいは悪い方向に傾くことが多いという経験則が大きいだろう。仮に単年度で20%のリターンを記録したところで、次の年に同じだけ負けていては意味がない。ウサギとカメの話にもよく似ている。

年月を経て近づく投資のリターンの源泉

資産運用には資産価値の変動(ボラティリティ)がつきものである。

短期的な売買を繰り返す人は、ボラティリティをリターンの源泉にしている(つまり、それで稼いでいる)。始めからそのつもりなのであればそれでいいが、そうでないのであれば、ボラティリティはノイズ(雑音)でしかない。ノイズを取り除いた後に出てくる、リターンの源泉はどこにあるのかをよく考えてみてもらいたい。

残念ながら短期的なボラティリティは存在する。

したがって、長期的な目線で見てみないと、また分散して見てみないと、取り込むべきリターンの源泉がどこにあるのかは分かりづらい。

長期分散投資とはいわばノイズキャンセラーなのである。ポートフォリオの構築を通じて、リスク(ボラティリティ)を軽減することが目的である。

しかし、同時にリターンの源泉をかき消してしまっても意味がない。分散するにしても何に分散するかは考えなければならないのも事実だ。

長期分散投資を邪魔する要因

自信が過剰

頭のいい人ほど、自分を納得させられる術を持っている。投資でリスクを取る理由を納得させられるし、その投資対象でいい理由を納得させられる。つまり、理由探しができてしまうのだ。

理由があるとそこから人は動くことができない。どんどん自信を高めることによって、自らの視野を狭め、自信過剰な状態に陥る。自信があるものに人は全てを賭けたくなるものである。

穴の開いた網のごとく、投資の結果は想定したものと異なることになる。そもそも網で捕まえたわけではないのだから。

後悔を回避

頭のいい人ほど、次はもっと上手くできるはずだ、人よりも優れたリターンを叩き出せるはずだ、と考える。気持ちを切り替えて、過去に囚われすぎないことは長く投資を続ける上では重要であるが、後悔から逃れようとすることは良い結果には結びつかない。

過去の経験から学び、そして前に進む。ただし、それはより良いリターンを求めるためではなく、スマートな意思決定をするためである。投資とはこういうものだと受け入れるところからしか学びはない。

資産を増やすために必要なのは努力ではなく忍耐

資産運用を成功に導くために、お金だけでなく、時間を費やす人がいるが、これは本末転倒である。資産を増やすためには時間をかけねばならないが、その時間のかけ方は資産運用に対してでなくてよい。

寝ていても遊んでいても構わない。単に投資をして放置をしておけばいいだけのことである。できれば働いて稼ぎ、投資に回す元本を用意することはこれもまた大事である。

何もしないにしても、もし放置し切れずにいつも気にかかっているようならばやはりこれも時間を費やしている状態に他ならない。投資をした後にできる努力は何もない。ただ、忍耐強く待つだけである。

自分に合った投資とは

投資を通じて一時的なスリルを味わうことを良しとする人もいるが、ずっと続けているとその異常さに気づくことはなくなる。ふと気づいたときには、自分のリスク許容度を超えたリスクをとってしまっているものなのだ。人間だからこそ起こる現象である。

自分に合った投資というのは、落ち着いた状態で安心してみていられるものである。想定されるリスクについて理解し、それが実際に起こったとしても動じずにいられることである。なぜなら、想定されていたことが起こっただけなのだから。

投資をしている感覚をいかに消せるか

資産価値の動きに精神的に揺さぶられる人は少なくない。もともといくらだったか(=投資元本)を意識しないわけにはいかないからだ。

しかし、一人ひとりの資産価値に配慮をして金融市場が動いているわけではないのだから、自分がもともとどこにいたかはただのバイアスでしかない。本来は、資産が増えたなら増えた先で、減ったなら減った先で、次のことを考えるしかない。

資産とは価値が変動するものなのだ、と思えたなら、より資産価値が維持できる、あるいは増加する方へ資産のアロケーションを変更していくことが所作として身に付けられるようになるだろう。

優れた投資資産の発掘に勤しむのはこの基本動作を身に付けてからでも遅くはない。

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