弱気相場だとかベアマーケットだとかをメディアが喧伝し始める。過去の例をひもとくと・・・等等。
多くの人は、投資における成功とは、当たりくじを引く、あるいは、最高のタイミングで売買をすることである、という認識がある。
これは投資用語で言えば、アルファを創出し、マーケットを出し抜くことである。
しかし、長期にわたってこんなことが達成できる人はほんの一握りしかいないこともまた、多くの人は自覚している。
実際にこのような離れ業をできない人にとっては、投資での成功はおおよそサバイバルのようなものである。つまり、間違いを乗り越え、資金が吹き飛ぶのを避け、合理的な投資プロセスにこだわり続けられることが、投資における成功の確率を高める。
特にこのサバイバル能力は、相場が下落する=ベア・マーケットにおいてより求められる。
相場が下がるときというのは、投資家はプレッシャーを感じ、じたばたし、そしてマーケットでよりよいタイミングを狙おうとする。それによって、本来防げたはずのリスクに対して無防備になる。
相場が急落すれば、投資プロセスなど忘れて、独自の戦略を構築し始める。
さて、ベア・マーケットを生き残るために必要なことは何だろうか。
目次
健康的な生活を続ける
しっかり食事し、運動を欠かさず、そして夜はよく寝ることである。
あまり関係ないように思えるかもしれないが、非常に重要なことである。
投資の損失は金銭の損失にすぎないし、ちゃんと余剰資金で行っているなら生活に与える支障は本来的にはない。が、それを認識することで身体にも脳にも影響はある。夢にも出てくるかもしれない。
健康でいること、生活リズムを保つことはまずもってこの影響を上手くコントロールする上で非常に大切である。
頭を使うのをしばらく止める
余計なことを考えるな、というのは言うは易く行うは難しなアドバイスではある。
ただ、冷静に考えてみて、1週間毎日24時間金融市場を眺めた結果、健全な人間生活が営めるとは到底思えない。これは極論だが、投資のことを考える時間がいつもより増えているのなら、それは負荷が大きいことを同時に意味している。
身体と同じく脳みそも休めるべきである。
テレビを見て気を紛らわすのでもいいし、外で運動をするのでもいい。リフレッシュすることは常に推奨される。
自分の生活に回帰する
インターネットを通じて様々な情報を手に入れられるため、何かに盲信し始めたら、同じような情報をたくさん手に入れることが可能である。まるで、世界はその情報で溢れているような錯覚に陥る。
ある特定の株式銘柄、経営者、ファンド、ポートフォリオマネージャー、何でもいいがとにかくそれに対して固執する人がいる。確かに、投資をする上で必要なことの一つかもしれないが、近年はあまり健全な判断とはみなされない。
投資によってあなた自身が蝕まれてしまってはいけない。どんな投資ポートフォリオかであなたの人生が規定されるわけではない。純資産をいくらもっているかで人生の成功度合いが決まるわけでもない。
投資ポートフォリオが再び利益を上げるまで今か今かと画面を眺め続けるくらいなら、友達とお酒でも飲みに行けばいいし、散歩や映画に出かければいい。子どもを遊びに連れていくのでもいい。
別に金融市場を四六時中見張っていたところで、金融市場はあなたのことを気にもしない。
儲かっているときは自分をできる人間であると思い、損をしているときは自分をできない人間であると思う。誰でもそうなのだ。しかし、実際のところはいつもその中間である。
あなたが大儲けをして喜んでいても、大損をこしらえて悲しみにくれていても、金融市場はそんなこと全く気に留めない。
勝っているときほどリスクを取りたがり、負けているときほどリスクを避けたがるものなのだ。だが、繰り返すが、金融市場はあなたが勝っているか負けているかなんて気にしていない。
片思いをしているだけなのだ。
完璧を求めない
相場が下がっているとき、投資ポートフォリオをコントロールしようとハンドルを握る必要があるのではないかと多くの投資家は感じる。
リスクヘッジする方法は何か?正しい資産配分は何か?どうやったら底値を拾うことができるか?
この話の厄介なところは、頑張ったところで結果が改善するとは限らないことである。やった感は出てもそもそもまやかしであるし、特に感情的に動いてしまえば、パフォーマンスを悪化させることの方が多い。
それに、相場が下がっているときというのは、買うのが早すぎたり、売るのが遅すぎたり、と感じやすい。負けているはずなのに欲が出るというのも考えものだ。
大切なことはベアマーケットというのはいつかは起こることなのだと心得ておくことであり、自分自身のリスクプロファイルと投資期間、流動性ニーズを知り、投資プランを決めておくことである。高値か底値か、ブルかベアかなんて、自分でコントロールできるものではないのである。
コントロールできないものをコントロールするという無茶なタスクを自分に科して自信をなくすのは得策ではない。