景気にはサイクルが存在する。経済学ではそう教えられるし、実際市場にもサイクルが存在する。その度に過去に似たような時期がなかったかを調べるのが投資家という生き物のようである。

もちろん、次にどう動くかがわかれば投資というアクションを起こす上で大きな自信に繋がるのは確かだが、そもそもそんなことが可能なのだろうか。

過去のリセッションとの比較

過去と全く同じ市場環境というのは絶対にない。

もちろん、人間という生き物の、このサイクルに対する反応のことを考えれば“似たような”市場環境があることもまた否定はできないが。

コロナショック後の市場環境は、ドットコムバブルや、1990年代後半などに似ていた、とも考えられる。それは、バブルの時には、テクノロジー銘柄の株価が急騰し、IPOが盛んになり、そして一般投資家がデイトレに参入する極めて投機的なマーケットに仕上がるからである。波に乗って大金持ちになる人も少なくはない。

しかし同時に、それぞれのバブルの終焉において、テクノロジー銘柄の株価の暴落を見て、そして投機対象となった銘柄もまた、紙切れ同然のようになることが起こっている。何をやっても儲かりそうにないという感覚が広がってくる。

ドットコムバブルに倣うのであれば、たかだか30%ほどの下落を記録したナスダックなど序の口である。そう、「過去に倣えばまだ下落の余地がある」などという言い方がなされるわけだ。

さて、当時と市場環境の比較をすることに意味があるのだろうか。強いていうならば、環境だけで見ればどちらかといえば第二次世界大戦後の方が近いようにも思えてくる。

サプライチェーンが乱れ、製造業は国の命令で戦争(コロナ)のための施設と経済活動をこなし、そして元の事業にいずれ戻ってくる、という局面。

あるいはインフレだけを思えば、1950年代の頃は米国の金利が低く、そしてインフレの上昇懸念が聞かれ、結果利上げが行われたことで、若干のリセッションを誘発した。

当時は株式市場は非常にボラティリティが大きかったが、結果としては10年かけて大きな成長を遂げた。

リセッションだからといって世界の終わりのように語るのは行き過ぎな面があり、インフレだからといってハイパーインフレーションがくるかのように語るものまた行き過ぎである。

このように話したところで私自身何か予測ができるわけではないのだが、過去を語る気があるのであれば、“公平に”眺めてみることはできよう。

リセッションは決して嬉しいことではない。多くの人が仕事を失い、ビジネスは立ち行かなくなり、そして損失が発生する。

だが、リセッションはいずれ起こり、生きている限りにおいて何度か経験する運命にある。多くの場合、リセッションは“行き過ぎ”を是正するための自動安定化装置のようなものだと理解できる。

リセッションとの向き合い方

新型コロナから抜け出す過程はどちらかといえば好景気である。つまり、景気のサイクルからすればそれがどのくらい続くのかというクエスチョンに過ぎない。

FRBは「景気は良く、雇用市場は良好で、利上げをしてもリセッションにはならない」というが果たして本当なのか。

そうこうするうちに株価が下がってきたら、「ほら見たことか、いわんこっちゃない」という具合である。

そういえば、FRBは「インフレは一時的であり、それゆえに利上げをする理由は見当たらない」といった。その1年後、インフレの持続性が確認できるといい、利上げを開始したわけだ。嘘つきだと言いたいのではない。世界の経済の動向を左右するアメリカの中央銀行ですら、決して正確な未来予知ができるわけではないのだ。膨大なデータをもってして精度を高めているに過ぎない。

リセッションとは来るべくして来るが、いつ来るかはやはり分からない。これはいつの時代も同じであると思って向き合うべきだろう。

リセッションを心配するアナリストの存在

そもそもリセッションとは何なのだろう。経済が落ち込むことは別に珍しいことではない。数ヶ月単位で起こることもあるし、数年単位になることもある。アナリストのいうNext Recessionとは一体どんなものなのか。それを具体的に語る者は残念ながら見当たらない。

そういえば、米国債のイールドカーブで逆イールドが発生するというのも起こった。それもまたリセッションの“前兆”として語られる。だが、同時に今回はあまり関係ないのではないかという意見も出た。

つまるところ、心配する役の職業というのはこの世に必要なのであろう、ということは分かる。

リセッションの心配をした方がいいか

リセッションうんぬんはさておき、インフレと物流の乱れは家計にとって良い効果はない。したがって人々は楽観的にはなり得ない。金利が上昇すれば住宅の購入は控えるだろうし、ガソリン代が上がれば車に乗らなくなるだろう。これらもまた、一時的ならば耐え忍ぶこともできようが、長く続くようならば人々は行動を変容させる。

このような場合、リセッションの足跡はじんわりとやってくる。そう、じんわりやってくるタイプのものならば抗うことはできないが、それは自然である。少なくともフルにアクセルを踏んで走っていた経済にブレーキをかけているのは事実である。しかしブレーキをかけたからといって走るのをやめた訳でもエンストを起こしたわけでもない。

事実を正しく捉える、というのは難しいが非常に大切なわけだ。

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