海外で資産を築いた富裕層の中には、海外での資産に対して課税されることに違和感を持つ人も少なくない。帰国して相続税を払うべきか悩む富裕層にはどのような処方箋があり得るのか、考えてみたい。

家族というファクターはどうしようもないことを知る

日本の相続税は諸外国と比較しても高い。このことは周知の事実であり、外国人が日本で最後の時を迎えたがらない理由の一つでもある。もちろん、これは海外在住の日本人にとっても同じであろう。帰国という二文字が何度も頭をよぎっても、家族のためにも海外に居続けるという選択肢を選ぶ人はいる。ただ、日本が嫌いな人ばかりではないというのも事実である。

さらに頭を悩ませることは、相続税においては、死亡した本人だけでなく、受け取る側、つまり、相続人の日本居住性も問われるということである。そのために、家族にも海外に居続けるようにと考える人もいる。

だが、これは難しい。なぜなら、配偶者や子どもにもそれぞれの人生があり、まして本人らが現時点で資産家でないのならば、「とばっちり」のように感じてしまうこともあるからだ。つまり、本人はともかく、家族というファクターが相続税に絡む点はどうしようもない、と考えるのがいいだろう。

資産管理会社や信託、財団という選択肢はどうか

自分個人ではない法人や組織に資産を移転する、ということは海外ではさほどハードルが高くないし、欧米の人たちにとっては当たり前の世界ではある。最近だと、中国の新興富裕層が現れ、一代目から二代目への資産継承のために香港を利用する、ということは盛んになっているようだ。

戦争を経て日本には資産を受け継ぐという概念が一度途切れてしまったかに見えるときもある。日本であれば資産管理会社を作ることは行われているが、海外もまた資産管理会社という選択は存在する。また、信託(Trust)や財団(Foundation)といったソリューションも一般的だ。

しかしながら、いずれの選択肢もまた、国をまたがった相続になってしまうとどうしても完璧ではない。死のタイミングがコントロールできない(コントロールを試みないという前提である)以上、相続の瞬間が、日本で起こるのか、イギリスで起こるのか、カナダで起こるのか、はっきり言って分からない。分からないものを永久的に解決するのは難しいと言えよう。

相続税に悩む富裕層への処方箋

かつてはいかにして節税措置を施すかということが必死で考えられたが、はっきり言ってその手の処方箋は限りなく少ないか、あるいは手を染めぬことが吉であるケースが多い。下手なスキームにのっかかって大切な財産を失っても意味がない。

思い切って腹をくくろう。55%の相続税は必ずかかるのだと。

もちろん細かな計算はあれど、税金を耳を揃えて払う分には文句は言われまい。結果として、資産を小さく見せることではなく、相続財産を原資よりも膨らませることにソリューションが見出せる。もちろん、資産運用を通じて増やす、というのもありかもしれないが、DAY1からこれができるのは保険だけだ。例えば香港の終身保険であれば、原資1億円に対して、保険金をDAY1から4億円程度にはできるし、そこにプライベートバンクからの借入(プレミアムファイナンス)を起こし、保険金をさらに増幅させる人もいる。

仮に帰国して永住というのではなく、家族の誰か(か自分)が一時的に日本にいる、というのであれば、定期保険もあるいは選択肢に入るかもしれない。定期保険の場合は掛け捨てなので、保険料は極めて安く、その分多額の保険をかけることができよう。海外の場合、少なくとも保険金の限度額は日本よりは大きく、100億円くらいになっても驚くことはない。そういうマーケットが世界には存在するからだ。さすがに保険を買うためだけにわざわざ日本から一時的に出てくるという人は稀かもしれないが、既に住んでいるなら選択肢にはなろう。

国際ファイナンシャルプランニングは容易ではない

私のような仕事をしていると、様々な国に出入りする人のファイナンシャルプランニングを行うことになる。家族が世界に散らばっているケースも少なくない。国際ファイナンシャルプランニングなどと言いながらも、下手をすればほとんど可能性のない人生の選択について、「万が一」構想を立てて想像を膨らませたものの、包括的なソリューションに恵まれることは少ない。結局のところクライアントと一緒に頭を捻ることくらいしかできないこともある。

今回挙げた保険の例は、言ってみればある種の思考停止なのかもしれないが、Most Likelyな人生とLess Likelyな人生、それぞれをカバーし、最終的には、その人と家族の思うままのライフスタイルを描くことには繋がろう。日本を主な例に話をしたが、これは他の外国に住む場合も基本的には有効だ。いつなんどきもQuality of Lifeは重要だ。資産運用がために人生が歪んでもいけないし、税金がために人生が歪んでもいけない。そこはやはり一人の人間としてわがままであれればよいのではないだろうか。