ビットコインがグイグイと上昇したころ、そして下落するころ、再び、「で、仮想通貨ってどうなの?」という話を振っていただくので、改めて仮想通貨に投資をすべきかどうかというテーマで解説してみます。
目次
仮想通貨を考える上での前提
ブロックチェーン、仮想通貨、暗号資産、デジタル通貨、…は全く別物と思うところからスタートすべき
目まぐるしく変わる社会の中で、新しい金融用語が次々と登場していますが、その中でしっかりと本質を捉えられている人はどれくらいいるのでしょう。
いや、そもそもイノベーティブ(革新的)なものなのだから、既往の概念に囚われてはいけない!などと思考停止はしてはいないでしょうか。いくつかの質問をぶつけてみます。
- ① フェイスブックが考案した「リブラ」は仮想通貨ですか?
- ② ビットコインは「通貨」ですか?
- ③ 日本円が「デジタル通貨」になるとしたら何が変わると思いますか?
①の答えは、Yes or No、つまり、そうであるとも言えるしそうでないとも言える、です。
個人的には仮想通貨ではない派に所属したいと思います(笑)。それくらい議論の余地があり、そして形が明確には定まっていないものだからです。というか最近はリブラという名前すら変わってしまいそうです。
②の答えは、限りなくNoに近いです。社会通念上、通貨、つまり貨幣というのは法定通貨を意味する、という解釈でよいと思います。日本円だったり米ドルだったりですね。したがって、どこかの国がその存在を認めない限りは通貨とはなり得ません。
③の答えは、多分そんなには変わらない、です。今だって皆さんの銀行口座にはちゃんとお金が入っていることをスマートフォンで確認できるじゃないですか。お財布に貨幣が入っていない人だっています。交通系電子マネーでおにぎりが買えたりしますしね。
多分きっとすぐに四方八方から反論が返ってくると思います。それくらい、議論のベースが人によって違うのです。
ただ、お互いに少しずつリンクしているこれらの話を全く同じものとして認識することは避けたいものです。例えば、「ブロックチェーンは理解できる優れた技術だ、だからその上で機能する暗号資産は信頼できる」といったロジックは成り立たない可能性があるように思います。
仮想通貨は投資対象として成立するのか
仮想通貨を投資資産としてみなすべきかどうかも一つの大きな議論がありますね。いや、そもそもFXも投資ですか、という質問に近いかもしれません。2つポイントを指摘してみます。
仮想通貨だから価値が増大する、というのは過信
仮想通貨は無限に発行されるものではありません。そのため、限られた流通量の奪い合いをより多くの人で実践すれば価値が増大する、といった話がたまに聞こえてきます。
だから、早いうちに購入して持っておきましょう、みたいな、ですね。嘘か誠か、でもしばらく持っておけば実際値上がりしている、やっぱり本当だった、と信じ始めます。
この話の難しいところは、ロジックとしては一貫しているところです。そうですね、供給が一定なのだから、需要が増加すれば価格は上がらねばなりません。
さて、問題はどこにあったのでしょうか、個人的な答えは供給が一定なので需給が自律的にコントロールされ得ないというところにあると思います。需要量に対する現在の価格が上下ともに見渡して適正なのか、ということを供給の側からジャッジメントしてくれはしないのです。
値動きがあって取引ができるのであれば何でも投資資産である
仮想通貨を取引しない方がいい、というほどに冷めた見方はできません。なぜなら、商店街で安いリンゴを買って、自分のお店で売るといったことも一種の投資ですから。
したがって、あなたが安いと思って買い、結果的に高く売れたのであれば投資としては成功でしょう。これを仮想通貨でやろうと、アンティークの高級時計でやろうとそれは否定されるべきではありません。
仮想通貨という名のまがい物を掴まされるリスク
巷でよく聞く話としては、「え?それってどの辺が仮想通貨なの?」という内容を堂々と「仮想通貨に投資してみない?」という話にすり替えているケースがあります。
縮約すると、ある街の商店街でのみ使える商品券をあなたの1万円札と交換してくれませんか、くらいの話にしか聞こえてきません。それでも、仮想通貨というだけで目をキラキラさせてしまう人もいるのでしょう。
悪貨はいずれ駆逐される
仮に仮想通貨全てを通貨として認めたとしましょう。それでも、悪貨はいずれ駆逐されることを歴史は証明しています。しっかりした貨幣ですら粗悪な貨幣を作ってしまえば途端に信用は無くなります。
仮想通貨の描く世界が遠くない未来に実現したとして、今現在仮想通貨と認識されているものが全て残っているかどうかは分かりません。
仮想通貨に対してどのように取り組むも個人の自由とは思いますが、価値の裏付けが何に基づいているのか、あるいは基づいているものがあるのか、はこの手の話の最後の拠り所です。
法定通貨ですら拠り所は完璧ではない
そもそも通貨には拠り所(=信用)が必要なのだ、というところがポイントです。
かつてはそれが金本位制として現れていました。変動相場制の今は発行国が通貨価値の拠り所です。したがって国外に出れば通貨が使えなくなる、ということが起こります。
海外旅行を頻繁にするとそのことをまざまざと実感します。日本円の札束を持っていたとしても、両替所に先に行かない限りはタクシーにも乗れなければご飯にありつくこともできないのです。円高になれば海外旅行に行く人が増えますが、それはつまり通貨の価値に私たちの生活が左右され得ることを表す証左なのです。
でも、その変化の程度は人間が「まぁいっか」「仕方ないね」と思える許容範囲であり、バランスのもとに成り立っていることもまた事実です。新興国で起きるハイパーインフレはそのバランスが乱れることによるものであり、結局のところそれは人間の仕業でしかありません。
日常生活で仮想通貨を使う日が来るか
仮想通貨に「投資」をするのは各々の判断なわけですが、誰もが日常生活で使う日は来るのでしょうか。この問いに答えを見出すのは容易ではありません。別に今すぐにでも使って構わないからです。
ユーロをイギリスに持ち込んで、街で使おうと思えばポンドでなくても受け取ってくれる人がいるかもしれません。人民元を香港に持ち込んで、街で買い物ができるかもしれません。
通貨とは常にそういうものです。隣の人がなんの不思議もなく使っていたら多分あなたも使い始めます。
そしてあるとき誰かが受け取ってくれなくなったら、通貨としての信用の終わりが来るわけです。「日本はもうダメだ」と言って海外投資ブームに火がついたのもこれに近い要素はあります。
仮想通貨に限らず、あなた自身は既に日本円に、そして香港ドルに、米ドルに「投資」はしているのです。通貨とはあっけなく、そして脆い。でもその供給圏で生活するあなた自身はそれを疑うことなく生きている。このことだけは忘れないようにしたいものです。