子どもに対するお金の教育に関心が高まりつつあるが、果たしていつから始めるべきか、そして何をやるべきなのか。是非親子で学んでもらいたい。

子どものお金教育はいつから始めるか

義務教育に金融に関することが含まれることになり、お金の教育の必要性は増していることが分かる。では義務教育の前に始めるなら英才教育なのか、なども今後は出てきそうな分野ではあるが、そもそもお金の教育はいつから始めるべきなのだろうか。

少なからずの親から、やり方やタイミングが分からない、自分に金融知識がなさすぎて教えられる自信がない、といった声も聞こえてきそうではある。

お金に関する何を学ぶのか、にもよるとは思うが、やはり子ども本人がお金を実際に扱うようになる年齢、多くの場合は小学生からと考えるようである。教育という言葉を使うと難しげに聞こえるが、どうだろう、数学のように徐々に難易度が上がっていくもの、というより、言語のようにある程度皆が当たり前のように使っているが、その巧みさが人によって異なるものだ、と捉えておくのも金融教育の一つの考え方なのかもしれない。ただ、義務教育を通じて、その最低ラインの均一化が進むことは期待されるところではある。

お金教育の形は人それぞれでいいか

ご自身にとってこれまでで最も良かったお金に関する意思決定と、逆に最も悪かったお金に関する意思決定を挙げてみてもらいたい。恐らく全ての意思決定に対して100点満点をあげる人はまずいない。ああすればよかった、こうすればよかった、は必ず起こるのである。

ただ、そこで何を学び、そしてその後どうなったか、である。もし繰り返し良くない意思決定が起きているのであれば、自分自身では管理できないことなので素直に誰かの力を借りた方がいいし、逆に自分では上手くできていると思うものであっても、誰かに話してみるとそうでもないことというのもある。お金に関する認識は大いに主観的である、と言える。

一方で、お金の教育、という言い方をすると誰でも学んでおくべきもの、という話になるので、主観的では困る。どこでも通用する一般教養となるよう、しっかりとカリキュラムを組まなければならない。実際そういう面はある。

ただ、どんなに教養を身につけても、最後はその教養を活用するタイミングが来るし、それを使いこなさなければいけない。注意したいのは、このときはやはりその人次第=主観的な要素が含まれてくるということである。

数字が嫌いな人の家計管理はどうすればいいか、どう頑張っても投資がリスクにしか思えない人はそうすればいいか、きっとそこにお金の教育の目指すゴールがある。参考書を読んで終わりでは絶対にないから、人それぞれ違う学び方が存在する。

子どもが経験するお金の失敗は比較的小さい

お金の失敗とは経済的損失ではあるから、失敗しないに越したことはないが、実際には失敗してみないと真剣に考えないことは多い。なにもお金の話ではなくて、物事全般がそうといえばそうである。机上の話ではなくて体験していることはその人の血肉となって将来絶対に役に立つ。

例えば、貯蓄について学ばせようとして、お年玉を貯金に回すようにするとする。しかし、子どもからすればせっかく貰ったお金を使うことができないことは不満だし、逆に何かが欲しいという感情を抑えていることになるので、お金に関する良い経験とは必ずしも言えない。それは学んで自発的にそう考えている、というよりそうするように言われたから守っているだけだという話である。

少し発想を変えるなら、お金を出してまで必要なものは何か、を学ばせることにする。お年玉は自由に使わせてみる、そして何を買ったのか、なぜ買ったのかについて話をしっかりと聞く。恐らくその時点では満足そうな回答は返ってくることであろう。それは一つのお金に関する学びである。しかし、時間が経つとまた別のものが欲しくなる。その時にまた聞くのである。お年玉を仮に取り置いておけば買えたのではないだろうか、と。貯めることが大事なのではなく、なぜ貯めているのかを理解していることは大事である。

もし最初の買い物が衝動買いで欲しいものを片っ端から買ったのであれば、その中には無駄遣いと言えるものはあるかもしれない。しかし、無駄遣いであったと気付くのは、もっと欲しいものが買えなくなったときだったりする。貯金をした子どもには「お金の使い方」という意味での学びはなかったのである。

親のクレジットカードで多額の買い物をしたりするようなトラブルは可能性としてはあるものの、子どもが経験するお金の失敗は比較的小さい。年齢をとるほど使うお金は大きくなるものなので、お金の失敗をするなら子どものうちの方が安上がりなのかもしれない。

お金の教育とは何を指すか

私のクライアントでも、子どもにどのようなお金の教育をするべきか積極的に考えていらっしゃる方はいる。もちろん、単純に子どもの成長を願うという意味もあるが、親として子どもの自立を促すことは重要な要素だと言えると思う。

お子さんのいる家庭における支出はやはり子どもにかける費用が優先される面がある。ご夫婦自身のことが大事でないわけではないが、優先順位を明確にお子さんに置くケースは多い。

となると、お子さんにかけた費用があり、余った分が自分たちのために使うお金、という構図になる。もしそうなら、シンプルにお子さんにお金がかからなくなる時期が早い方がいいに決まっている。極端な話。

何も中学からバイトで働け、のような話ではなく、子どもが自らの未来について、お金という要素を考えるかどうか、というのは大きい。しっかり考えた上で、それでも大学院に行きたい、留学したい、ということに対して資金面で子どもを支えたいという親は多いし、あるいは親でなくても、そういう子どもであれば奨学金などの形で支援してくれるケースがある。

お金の教育というのは、お金について学ぶことである、というのは半分正しいが、人生の多くの事柄においてお金がかかることを知り、そしてお金を上手くマネジメントすることで歩みたい人生を歩む選択肢を得られる、ということを知ることである、と思う。

親子で一緒に学ぶ道もある

子どもは一般には親が守るべき存在である。

しかし、そもそも家庭という名の一つの事業体におけるメンバーの一人でもある。子どもがお金を適切に扱えるようになることは何もその事業体から独立するためだけのものではない。むしろ一緒に家庭をよりよくしていくために子どもなりに貢献していることは理想であると言える。

親のお金の経験というのは子どもに見せたがらないケースがあるが、それは必ずしも正しいとは言えない。子どもも家族の一員であるからして、一緒に学んでいく機会を設けるのは、そのことを子どもに気づかせる最も簡単な方法なのかもしれない。

逆に私のようなアドバイザーはご家族をお連れいただくと、そもそも誰にでも分かるように噛み砕いて話ができているか、というのを改めて考える機会になっており、それもまたプラスのフィードバックとして返っていくことだろう。

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