有事がつきまとう時代に安心して資産運用を続けるにはどうしたらいいか。地政学的リスクへの備えとアクションプランとは。

地政学的リスクとしての戦争

戦争の影響がある、といっても自らの母国や住む国でないのであれば少し事情は異なってくる。直接その国に投資をしていないのであれば影響は間接的なものに留まることが予想される。が、間接的だからといって影響が小さいとは限らない。金融市場においては、このことを地政学的リスク(geopolitical risk)という言い方をする。

地政学的リスクとは、ある地域において政治的あるいは軍事的な緊張が高まりを見せることで、該当地域及びその地理的な位置関係が近い地域、そして世界経済全体への先行きが不透明になることである。必ずしも戦争そのものを表すわけではなく、政治的あるいは社会的に大きな混乱をもたらし、それが隣国や他国との外交関係の分断を促すような場合に当てはまる。

近年の地政学リスクの代表例は中東であり、アラブ諸国の中で紛争やテロが起こり、石油価格が不安定になり、それが世界経済全体の停滞をもたらしたとされる。

地政学リスクそのものは世界のあらゆるところに存在するが、それが金融市場にとって懸念するに値するものかどうか、というのが分かれ目である。地政学リスクの顕在化は資産価格の変動を増幅し、結果としてリスクオフ(質への逃避)に向かわせる。

リスクオフの意味

地政学リスクの顕在化とは、実際の有事とは異なり、むしろ有事への発展を懸念して早めに発現することが多い。その場合、一般にはリスク資産が売却され、安全資産へと組み換えられる。といっても一度に行うわけではなく、ポートフォリオの割合を変化させる、投資ポジションを縮小させる、という対応である、とは言える。

リスクオフとはある種の様子見行動であり、一旦シェルターに隠れた投資マネーも、安全確認をしながら再び地上に現れ、元のマーケットに戻る、というわけである。マーケット参加者がリスクオフだとかリスクオンだとか言っているのは、そういったマインドの変化に着目しているのである。

資産価値の暴落?

リスクオフになったからといって資産価値が暴落するわけではない。が、戦争という有事は資産価値を暴落させる可能性を秘めている。

資産価値を暴落させるイベントといえば金融危機が想起される。未だにその代表例はリーマンショックであると言っていい。ただ、金融危機と戦争はどちらが重大なのか。当然ながらどちらも規模と範囲によるとは言える。

金融市場の中心たる米国で起こったリーマンショックは相応のダメージを世界に与えた。戦争も同じで、金融の中心に近いところで起こるほど影響が大きいことは言うまでもない。

ロシアで何が起こったか

ロシアとウクライナのニュースを見ていた人は多いだろう。実際、ここから得られるインプリケーションも多い。

  • 有事には国から出られなくなる可能性がある
  • 有事には軍隊への参加が余儀なくされる
  • 有事には他国によって資産が凍結される可能性がある
  • 有事には資産が接収される可能性がある

もちろん一部の政治の意思決定に絡む人々と、一般市民とでは影響は異なるが、その範囲ははっきり言って未知である。未踏の領域に踏み込んだ対応を行った国も多い。資産云々の前に基本的な人権すらままならない可能性はある。リアクションはというと、

  • 航空機で国を離脱する
  • 難民として他国に受け入れてもらう
  • 資産を他国に逃避する
  • 国籍を放棄、転換する

裏話には事欠かないが、スイスのような永世中立国ですら、資産の置き場として絶対ではなかった、というのは印象には残る出来事だったと言える。

有事への備え方

さて、戦争が起こることに対する備えがどのくらい必要かは人によって異なる。当たり前だが、命あってなんぼなので、まずは身の安全のことを考えるべきではある。ただ、やはり戦争の時代を生き抜くのにもお金が必要になってくる。自らの築いた資産をどのようにして守るのか。

有事において警戒せねばならぬのは、資産の接収とインフレである。どちらも持っている資産の価値が無価値になる可能性を秘めている。

一般には戦争が起こっている国やその国の通貨で資産を持っていてはいけない。結局のところ資産への需要が資産価値に反映されているのだから、需要がなくなることを恐れねばならない。

安全な国に資産を動かす?米国?スイス?英国?シンガポール?

ただ、戦争が米国で起こるとしたら、それはきっと歴史的大事件であると言える。核兵器を持つ国が資産の置き場として安全だというのは一見正しいようで、疑問が残らないわけではない。

資産運用において大切なのは分散である、と言われるが、それは無意識にリスクが分散されていることに意味がある。確かに、意識的に分散を心がける、というのも大切ではあるが、結局のところ最も懸念すべき事象というのは意識していないところから現れるものである。

と、以上のような内容も結局は杞憂に終わることが最も大事なわけで、私たちの生きる21世紀に起こって欲しいものでないことは多くの人が同意をしてくれるだろう、ただ、戦争はいつ起きるか、なぜ起こるのか、分かるようで分からないものである、というのは歴史が示す通りである。

↓ この記事が気に入ったらシェア ↓