プライベートバンクと信託(トラスト)は親和性は高い。ただ、親和性が高いからといって抱き合わせ続けるのは苦しくなってくる、ということらしい。

信託+プライベートバンクの組み合わせ

以前にも記事で触れたことがあるが、ともすれば金太郎飴のようなサービスを提供するプライベートバンクにとって、顧客の維持は史上課題でもある。相続にまで影響するサービスであれば顧客とも自然と長いリレーションが築かれると考え、信託ビジネスを自らのサービスの一部としたプライベートバンクは多い。

FATCAやCRSを国際的な税務報告を通じて資産の秘匿性が失われたことで、オフショア法人のような「魔法の言葉」をかけられないとしたら、次は信託なのではないかと解を導いたわけである。

ただ、今プライベートバンクは信託ビジネスから距離を置き始めているとも考えられる、その背景に迫ろう。

費用がサービス内容に見合わない

信託の提供は顧客ニーズというより、ある意味プライベートバンク都合な部分があるし、信託というサービスそのものは何も特別ではない。様々なサービスプロバイダーがいるなかで、自前のサービスを利用してもらうのに、非常に低い費用かあるいは無料の付加サービスとして信託を紹介することも珍しくない。

でも、現実は信託というのは専門家サービスであり、安く提供するのには限界があるし、もしその分のコストを徴収せず、どこかで補填しなければならないとしたら、本丸である金融サービスの費用を高くするしかない、ということになる。

また、顧客に信託を利用するニーズがある、ということは資産は保全に向かうことになるため、どちらかといえば保守的な資産管理が行われる。信託を選ぶ顧客が、仕組債のような手数料たっぷりのリスクの高い商品を選んでくれるとは限らないのである。この場合、プライベートバンクの収益性は落ちる。

二重三重の調査が入る

信託そのものは法人格を有しないものの、報告対象としては別である。つまり、金融サービスとしてのプライベートバンクの活動に加えて、追加的な報告物が存在する。調査や報告というのは各国の当局によるものであり、内部のコンプライアンスからでもある。あるいはパナマ文書のような暴露により、評判が傷ついたり、ときに罰金を課せられるような事態も考えられる。

抱き合わせ的に提供されていても、別個のものと見られる。なのに、実態として抱き合わせゆえに利益相反なども問い詰められると案外脆く崩れ去る。こうしてそれぞれの角度から二重三重に調査がかかることにより、仮に問題がなかったとしても、本来意図していなかった維持コストがかかり、収益性に疑問が残るのである。

コアビジネスに回帰する

信託ビジネスからの撤退事案は、プライベートバンクがコアビジネスに回帰する意図があることも意味している。

始まりは銀行、そして最後も銀行、このことはとても重要な示唆でもある。

アートやワイン、アンティークにプライベートジェット、不動産や保険等、あらゆる富裕層の趣味趣向に合わせたサービスを提供したところで飾りにすぎないし、むしろ実際のところ飾りとして外部のサービスに接続しているにすぎない面はある。一つ一つのサービスはプロフェッショナルサービスであり、DIYとして自由に組み合わせた方がよいと顧客が気付いてしまった、というのもあろう。

独立系の台頭勢力

プライベートバンクを取り巻く環境が変わってきたのも背景にある。大手のプライベートバンクがこうした価格やサービス戦略で囲い込みを図ったことで、外部の独立系にとって価格低下のプレッシャーがかかったのは確かである。それにより競争に敗れ去っていったものもある。

一方で、内実の伴ったプロフェッショナルサービスを維持するところは価格プレッシャーにも負けず、確かな価値を提供し続けた。

とくにプライベートバンク内でサービスの都度費用を見積もって請求するのは難しいし、どこかで投資商品や保険商品のような手数料の高いものに導かざるを得ない内部事情もあるのだろう。

顧客にしてみれば、長く続くサービスだからこそ、客観的でレベルの高いサービスを受けたい、そう考えたなら独立系を選ぶのだろう。その上でより良いプライベートバンクと接続を試みればいいだけである。

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