香港に移住してきてかれこれ3年が経過しようとしている。2019〜2022年のこの期間によく話題になったのは香港の将来に対する疑問視だったり、国際金融センターとしての地位だったりとネガティブな話がたくさん聞かれたのも事実である。

何か正解があるわけではないと思うが、そもそもどんな話を当地に住む人々の間でしていたのだろう。少しだけ振り返ってみようかと思う。

人々が去る理由

「昔の香港は良かった」

残念ながら私自身はいわゆる”昔の香港”が指すものをそこまで知らない。ビクトリアハーバーを見渡せば日系メーカーの名前がずらりと並んだ頃の話かもしれないし、街にネオンの看板が飛び出して賑わっている姿なのかもしれない。

ある人は、昔の香港は怪しいビジネスや投資商品の話をたくさん聞いたが、今は面白みがない、ともいう。変わってゆく街の姿に納得感がない人は次なる場所を目指して去るのだろう。

「事業の先行きが不透明である」

香港はとにかく狭い。ヒト、モノ、カネが行き交う港湾都市であり、ハブである。だからヒト、モノ、カネ、それぞれの流れがスムーズでなくなると途端に立ち行かなくなる。

コロナで飛行機は飛ばないし、せっかくつくったマカオや本土との橋もとてもとても稼働率が高いとはいえない。コンテナ船は世界的に不足し、ロジスティクスはズタズタである。原材料の価格が上がり、モノを運んだり作ったりしているだけなのに、とんでもないリスクに直面する。

情報ですらメディアの統制が厳しくなってきてテクノロジー推しというわけにもいかない。香港に上場している大企業ですら規制強化により先行きが見えなくなったのだから、それと連なるビジネスにしわ寄せが来るのも頷ける。

「自分はいいが、子どもの教育はちゃんとしてやりたい」

デモで街に出づらくなったり、コロナで自宅学習が増えたり、あるいはそもそも学校自体が閉鎖になったり、とにかく親の心労といったらキリがない。

働いて稼ぐ分にはヘルパーを利用したりして子育てはできるが、そもそも教育らしい教育を受けさせてやれないのは辛い。

頑張って海を渡って日本の学校に転入させたら今度は学校が閉鎖になるし、香港に戻ってきたら戻ってきたでロックダウンの話が聞こえてくるし、子どもが感染したら子どもだけで隔離なんて話も出てくる。小さな子どもはマスクを嫌がるのに、外していると周りから白い目で見られる。

よりよい環境を子どもに用意してあげたいというのは親心である。

残る人に対する見方

「残っている人がいるのは心強い」

知り合いが香港を去るのを見送った人は多いのではないだろうか。あるいは本来であれば送別会を開くところ、ほとんど周りに告知せずにしれっと去っていく例は実に多い。

久しぶりにお茶でもどうかと思って声をかけたらもういない。気軽におしゃべりできる友達がいないというのは海外生活においてはなかなか厳しいものがある。

だからこそ、お互いに香港繋がりだというだけで年齢や性別関係なく、様々な話ができる。香港にいる時点で日本人とつるむ必要はそれほどはないのかもしれないが、かといってルーツであるものと分断されていたいとも思っていない。

平日仕事は英語や中国語でいいが、週末くらいは日本語をしゃべって愚痴の一つでもこぼしたいものなのだ。

「なぜ香港に来たのか、働き続けるのか」

他意はないと思うが、なぜこの時期にわざわざ香港にいるのかみたいな聞き方をする人はそれなりにいる。単純に興味なのかもしれないし、本人の中で外に出ていかないという人もいることに安心をしていたいのかもしれない。

誰だって周りの人が次々にいなくなったら、何でなんだろうと思うし、自分が見逃している何か大きなことがあるのではないかと思ってしまう。なくてはならないものがなくなったら人は困るが、あったら嬉しいものがたくさんなくなるとこれも困る。

典型的なルート

香港 → シンガポール

「お客さんが移ったので私もベースを移す。ときどき香港にも出張で来るとは思う。」(某プライベートバンカー)

人と会って話をする仕事の場合、話す人が動くと自分も動かないといけなくなることはある。単純にビジネスの重点に合わせているだけではある。

「アジア統括拠点は香港でなくてシンガポールでも問題ない。会社ごと移転させた。」(某貿易会社社長)

もともと香港には税務上の利便性などがあっただけで、実態の部分はそれほど大きくないという場合、会社の移転スキームを使えばすんなり移すことができる。何かあるわけではないが、目先の不安が解消で来たと思えることが大事なのである。

香港 → 日本

「商流がすっかり変わってしまった。周りに迷惑をかける前に会社をたたんだ。」(某在港数十年日本人経営者)

世の中のトレンドの変化くらいなら時代に合わせればいいが、根本的に分断が発生していると取り切れないリスクが生まれる。自分は大丈夫だが、関わっている企業は怪しいということもあり得る。

事業環境が今後劇的に良くなる見通しがあれば耐え忍ぶこともできようが、その先に待っているのはリタイヤメントである。こんな状況で会社を継いでくれる人がいるとも思えないし、何かあってからでは終わり方に悩むことになる。

「お客さんが渡航できる前提のビジネスだった。自分が行ってお客さんに会うしかない。」(某ローカル金融関係者)

人の行き来をベースに仕事をしていると、渡航ができないのは厳しい。そもそも収益の源泉から離れているのであれば、大人しくそちらに寄っていくのが本来あるべき姿であったと言える。いつの時代も同じビジネススタイルが有効なわけではない。

香港 → イギリス

「もうかつての自由な香港ではなくなった。去るチャンスが与えられたのだから出ていく。」(某香港人)

きっかけは人を動かす。自分で調べて高いハードルを乗り越える人は多くないが、そのハードルが低くなったのなら考えるという人は多い。他様であり得たときに心の安寧に繋がるのであればそれは選択できる。

「家族がイギリスにいて、香港は好きだが、しばらく会えなくなるのは避けたい。」(某英国人)

自分の人生の中でのプライオリティが人ぞれぞれ存在する。仕事や環境に満足をしていても、家族と会えなくなるリスクを重く見る人はいる。少しの間なら我慢できるかもしれないが、そもそも家族を連れて動くという選択肢が非常に難しいとしたら考えものである。

香港 → 上海

「中国本土向けの事業をするならいっそのこと中に入ってしまった方がいい。」(某メガバンク管理職)

香港の本土化のリスクについて語られるなかで中国本土に思い切って入っていくのは大きな矛盾だと思うが、それを選ぶことはそれなりにある。

事業継続においては不確実性が最も嫌われるということなのだろう。あるいはコストの削減余地があったのかもしれない。惰性で続けていたことを見直す良い機会になったのかもしれない。

「リモートでも仕事はできるが、現場関係はそれでは回らない。」(某製造会社役員)

中国本土と香港は近くて遠い。深圳にすら気軽にいけなくなってしまった。リモートで様々な指示は送れるが実際に現場にいって喝を入れないとなかなか上手くいかない部分があることに気付いてしまった。司令塔を遠くにおいておくわけにはいかない。

香港の復活はあるのか

復活(リバイバル)という言い方をするのは若干違和感はある。香港で変わらず生活や事業をしている人が大半ではあるからである。

変わらぬ日常はニュースにはなりづらく、社会に対する不平や不満はニュースになりやすい。これは知っておくべきだろう。

今の香港は確かに大人しい。発展途上の街というよりは成熟した都市になってきている。そして成熟していく過程で野放しにしてきた課題をたくさん抱える場所でもある。

ただ、逆に明るいニュースが多かったかというとそういうわけでもないと思うので、それが再び聞こえてくるようになることを復活と呼ぼう。

最後に

離れていく人の話をするとどうしても暗くなる傾向があるが、入ってくる人もそれなりにいるのが実態である。

もともと人の往来の激しい香港であったのに、その一つひとつが印象に残ってしまっているだけである。あるいは自分のことよりも他人のことを気にする機会が少し増えているのかもしれない。

是非これから来る人たちとも、楽しみの一つひとつを共有し、大切にしていきたいものである。

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