人間の幸福感についてヘドニック・トレッドミルという現象がしばしば引用される。お金と幸せは分けて考えることができるのだろうか。
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ヘドニック・トレッドミルの意味
ヘドニック・トレッドミル(hedonic treadmill)とは、快楽順応という現象のことを指します。人間はどこまで贅沢をしても幸福感は長続きしない、という話です。
例えば、新しい場所に住み始めたら、最初はワクワクするかもしれませんが、いずれは変わり映えがないと感じ始めます。もちろん住めば都という考え方もありますが、また新しい場所を探し始める人も多いですよね。
死ぬほど美味しい食べ物に出会ったとして、もし仮にそれを毎日食べ続けたとしたらどうでしょう。毎日食べても飽きなかったとしても、恐らく最初の感動とはまた違ったものになっていきますね。
このことは一時的な幸福の増減ということ以上に、時間とともに幸福度には戻っていく場所がある、と考えられます。
トレッドミルはランニングマシンのことです。ランニングマシンとは、走って体を動かしてはいるものの、いつまで経っても別の場所に行くことはないものです。走って終われば元の場所、それがヘドニック・トレッドミルという現象なのです。
幸福感が長続きしない例
1978年、ノースウエスタン大学の社会心理学者フィリップ・ブリックマンは宝くじの高額当選者の幸福度の変化について調査を行いました。
もちろん、宝くじに当たった直後、当選者は「以前よりも幸福になった」と答えますが、1年後に再び調査をすると「以前と幸福度が変わっていない」と答える人がほとんどだったというものです。
このような人間の本能的な部分は、マイナスと捉えるべきとは限りません。逆に、不幸な出来事からも同じく戻ってくることができることを意味しています。
例えば、交通事故に巻き込まれ、五体不満足になったとして、その後の生活は極めて不便である、という状態に陥ることがあります。
もちろん、四肢を失った瞬間は途方に暮れるほど悲しいかもしれませんが、しっかりと前を見ることができたならば、いつの間にか五体満足な人と何一つ変わらない日常を送り、同じように幸せを感じることができるようになっている、ということだってあります。
お金持ちは幸せか
富裕層だからといって金銭的に満ち足りているとは限りません。
「5億円の資産ができたから、次は10億円を目指そう。」
「目標通り10億円に辿り着いたから、次は100億円の壁に挑戦だ。」
このように語る富裕層は少なくありません。
贅沢な悩みだと思うかもしれませんが、別にマネーゲームを楽しんでいるわけではないし、お金持ちの戯れだというわけでもありません。
容易か容易でないかでもなく、単純に「足りていない」と本人は本気で思っているのです。どうなったら「足れり」なのか本人もよく分かっていない面はあります。
逆に富裕層の中には、行動のどれをとってもお金遣いが荒いとは言えない、という人すらいます。普通に歩いて移動するし、身なりも一般の人とはそう変わらないか、むしろくだけているというケースもあります。
もちろん要所要所では、物や食事に対するこだわりなどは垣間みえますが、富裕層=贅沢三昧というイメージはステレオタイプだとも言えます。
人間の幸福度の初期設定
変化や刺激を求め続ける、というのは幸福度を高止まりさせるための一つの答えではありますが、それは幸福度の初期設定を上げることには繋がっておらず、いつかは疲れてしまいます。
逆に、幸福の国と言われたブータンの例を知っている人もいるでしょうか。かつてのブータンは国外からの人や情報を制限して、実質的に国を閉ざし、経済成長という意味では全くでしたが、国民に幸福度は極めて高かったと言われます。今ではインターネットに触れるようになり、文明化したようには見えますが、結果的には幸福度は下がったという話もあります。“幸福”とはそのようなものなのです。
消費・浪費は悪か
消費を通じて幸福度が上がらないと言っているのではありません。ブランド物のバッグや時計を持ち、お洒落なレストランに行き、そして高層マンションに住む、いずれも幸せを感じるための一つの手段であることは間違いありません。
しかし、ポイントは際限のない消費に過ぎず、いずれは飽きがくるものもあるのです。お金を使うことが幸せである、という状態は長続きしないのです。
それに、惰性の出費・浪費が増えれば、一時的な快楽は得られても、本質的に向上させるべき幸福度のために使えるお金が減っていることにもなりかねません。
足ることを知る
いつかは幸福度の初期設定に戻ってくるのなら、幸福度の初期設定を上げるにはどうしたらいいのでしょうか。これは永遠のテーマでもあります。
例えば、他人に感謝を怠らないことなどが挙げられたりはしますが、心の持ち様の領域に入ってくると、ある種の宗教観だったり、逆にいうと無欲だったりするわけです。
ファイナンシャルプランナーとしてクライアントの資産を増やし、資産を守ることは一つの使命ではありますが、例えば「資産1億円を目指しましょう!そうすればあなたは幸せになれます!」そんなことを吹聴しているわけではありませんよね。
ただ、様々な人生ステージの方がいるなかで、共通していることとしては、幸福度の初期設定について深く考えてもらうことは大事と思っています。
あなたが汗水流して働くのは愛する家族のためである、愛する家族が幸せである状態をどのように考えるか、というようなことです。その結果、どのくらいの収入や資産があればその状態が無理なく維持できるか。お金と幸せは結びつきも強いのです。
お金がなくても幸せな家庭というのは実際にありますが、一方でそんなのは理想論だとバッサリ切り捨てる人だっています。どちらが正しいというつもりもありません。
お金がいくらあったらいいか、というのは一つのアプローチに過ぎず、ただ「お金がない」が一つの要因(言い訳)となっているのであればそれを取り除いた先に、「足ることを知る」状態がくることが重要である、とは思います。
また、多くの人のファイナンシャル・プラン(お金のやりくり計画)は、「なんとかなる」という楽観主義によって崩され、いつの間にか計画から外れていくことが知られています。
「足ることを知る」において重要なことは他人と比較することではなく、自分をよく知ることなのかもしれませんね。そして、その状態を維持するために、上手く第三者としてのファイナンシャルプランナーを使う、ということかもしれません。