資産運用自体は金額は小さくともやった方がよく、結果として人生において取りうる選択肢を増やしてくれる。一方で、投資に過度に資金を振り向けたり、過度な期待を抱いたりすることは、逆に人生の選択肢を狭めることに繋がっているようにも思う。

「無理のない範囲」は簡単なようで難しい加減ではあるが、本稿ではそれを考えてみよう。

無理のない範囲をまずは理解する

そもそも「無理のない範囲」と言ってそれが意味するところは実は人によって異なることを知っているだろうか。少し分けて見てみよう。

金額的に無理のない範囲

一体いくらを投資に回したらいいのか、はっきりとした数字を持っている人は少ない。どんな投資をしたらいいのか考える前に、そのことを理解することは大事である。

投資に回すお金が多ければ多いほど投資の成果も大きくなり、できる投資の種類も多くはなる。そういう魅力から頑張って精一杯の背伸びをするのがいいと思っている人は少なくない。やみくもにリスクのある投資にお金を注ぎ込めばいいわけではない。必要なだけのリスクをとることが大事である。

もちろん、少額すぎても目に見える投資の成果に繋がらないことは知っておくべきかもしれない。金額的なものを考えるときは、将来どのくらいの金額が必要なのか、が一つの視点としてはあり、次に今の自分の生活から捻出できる金額はどのくらいなのか、という別の視点がある。両者のバランスをとり、その差を埋めるのは投資のリターンであるため、投資に回すお金を減らしすぎるとリスクの高いものを選ぶ、ということになるのも気が付くだろう。

時間的に無理のない範囲

投資の最終的なゴールは勝手に運用され、勝手に結果が出てくれることであり、労働時間というリソースを投入して結果を得ることではない。

投資を始めようと思うとき、せっせと手足を動かして自分の力で稼ごうとする人はいる。もちろんそういう投資のスタイルもあるにはあるが、結果として、趣味の時間、家族との時間、あるいは本業の時間を削っていることに気付いていない人はいる。投資が面白い、投資が好きだ、このこと自体は悪いことではないものの、もっと他にやりたいことがある人の方が多いものである。

投資について考える時間は確かに重要であり、突き詰めるほど結果が出そうな気にはなる。もしふと自分を振り返って、投資に執着しているな、と思うのであれば、投資から離れることを考えるのではなく、単に他にやりたいことを見つけてしまえばいい。他のことをやっていても投資の結果は変わらない、ということにも気付けるだろう。

経験的に無理のない範囲

投資に限らず、やったことのないこと始めるとき、人はストレスを感じる。どうやっていいか分からないし、やっていることが正しいのかも分からない。知識的、経験的なハードルは誰にでもある。もちろん、資産運用が上手くできている状態にもっていきたいわけだが、焦って失敗すると、自分が間違っていたとか、やらなければ良かったとか、嫌な思いだけが残る。周りが上手くやっているように見えると、自分には向いていないのかもしれないと思い始める。

あるいは誰かの真似をしていれば安心する、という人もいる。成功している人と同じことをやっていれば自分の頭で考えるよりいい、と考える。勧められたものを鵜呑みにするのも、相手の方が知識や経験がある、と感じてしまっているからである。

経験的に新しい領域に進んでいる、と感じるのであれば何らか第三者のアドバイスを取り入れた方がいい、ということに気が付くだろう。

頑張っても無理はしない

人生において、確かに頑張らなければならない局面というのはある。マイホームを手にするのには生活を切り詰めることを考えるかもしれないし、子どもにより良い教育を与えたいと思うなら、夫婦の生活を妥協しなければならないかもしれない。

目標を立て、それに向けてしっかりと行動し、着実に成果を残すことは投資においても重要ではある。しかし、誰のために投資をするかと言えばそれは自分のためだし、家族のためのはずで、決して地位や名声のためではない。だから、社会的な評価でも、他人との相対評価でもない、自分自身の絶対的な評価であることを理解する必要がある。

途中で力尽きずに続けていける方法を考え、年齢に応じてやるべきことも変えていくことも当然である。投資とはリスクをとること?いやむしろ、如何にリスクをとらないか、に私自身アドバイザーとしての時間をかけている。

一人でやっていると気が迷い、心折れる、というのであれば、アドバイザーとして寄り添うことはできると思う。

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