パンデミック以降、特に政治の方向感を見失っている人は多い。その一つの背景としてグレート・リセット(The Great Reset)のイニシアティブがあることは知っておきたい。
目次
そもそもグレート・リセットとは
グレート・リセットとは、より良い世界の実現のために、従来の社会と経済のシステムを見直し、抜本的な転換を図ることである。
2021年5月に開催された、世界経済フォーラム(World Economic Forum、WEF)による、ダボス会議のテーマになり、その後もWEFによるイニシアティブとして大きく注目されている。
世界経済フォーラムとは1971年に設立された世界情勢の改善に取り組む国際機関であり、スイスのジュネーブに本拠を置く。その年次総会はスイス東部のダボスで開催されているため、通称「ダボス会議」として広く知られている。世界のリーダーの間では言わずと知れた会議ではあるが、一般の人にまでは浸透しきっていないものであると言えよう。
グレート・リセットの課題認識
グレート・リセットが唱えられるのには、既存の社会と経済のシステムにおいて、限界がある、実現し得ないとされる課題に対して、全く新しいアプローチが求められているという背景がある。その具体的なエリアとしては、経済成長、人権と平等、デジタルと雇用、気候変動、格差拡大などが挙げられる。
経済成長
資本主義とはそもそも何か、という問いかけがここには含まれる。本当に理解している人がどのくらいいるのであろうか。
企業が株主の利益を第一に考えて経営する「株主資本主義」ではなく、従業員、取引先、顧客、地域社会といったあらゆるステークホルダーの利益に配慮して経営する「ステークホルダー資本主義」が掲げられている。
従来はとにかく儲かればいい時代であったが、これからはサステナブルな経営をしていかなければならない、という問題提起である。
まさに、経済合理性の再定義であり、企業の社会的責任が報われるような仕組みづくりを求められる。
この点において、政府の役割を非常に重要視しており、ステークホルダー資本主義に全体主義(あるいは共産主義)と近しいものを感じる人も多い。
人権と平等
これまでもジェンダー格差、人種問題などは様々な観点で取り組まれてきた。が、一方で根本的な解決には至っていない。
あるいは第二次世界大戦後の秩序において、国ごとの強弱がなかったかというとそうではない。グローバルな時代がそのまま自由と平等を表象していたわけではない。
米ドル基軸通貨の時代の終了も一つの象徴的な出来事に将来はなるかもしれないし、戦争などを通じて世界が混乱すればするほど政府への依存度は高まり、
新世界秩序を築きやすくはなる面があるかもしれない。
デジタルと雇用
AI(人工知能)や機械学習など、テクノロジーの発達による労働の代替が予想されるなか、雇用が失われることも同時に指摘されている。
デジタル技術革命はもう待ったなしである。分野を超えた協力とイノベーションが求められている。
暗号通貨などを通じて、非中央集権的な経済が生まれるのか、あるいは中央銀行が発行するデジタル通貨(CBDC)などを通じて、より中央集権的な経済に変わっていくのかも注目に値しよう。
気候変動
再生可能エネルギーへの移行、脱炭素などは既にロードマップが敷かれ、気候変動対策としても注目されているが、
その全容についてどれだけの人がイメージをもっているかはかなり不透明であると言えよう。
ただし、社会にビルトインされたESGの概念を通じて、個人もまた変革の一助となることを期待されている。
格差拡大
これまでも、ベーシックインカムなどのアイデアに関して聞いたことのある人もいるかもしれないが、貧富の差の解消は個人レベルで影響を感じやすい部分でもある。場合によっては私有権、財産権、あるいは個人の権利そのものの剥奪により強制的に格差是正に取り組むこともあり得る。
グレート・リセットは都合の良い解釈か
既得権益との戦いに勝利するためには、相手の土俵で戦わないことが非常に大事である。したがって、グレート・リセットという波を起こすことによって、既得権益の基盤を揺るがすとともに、新しい基盤の上に人々が自らの意思で移動してくる必要がある。この点において、新勢力にとって都合の良いイニシアティブのようにも聞こえる。ただ、本質は「現状に対する不満の発露」とも受け取れる。後先考えずに、何かがダメだといって破壊を目論む、ということもあり得るわけだ。
グレート・リセットによってもたらされるべきは新しいアプローチである。もちろん、そのままでは上手くいかないものに新しい視点から取り組むことは大事ではあるが、だからといってそれが上手くいくという保証があるわけではない。
それに、結局のところグレート・リセットは新たな既得権益を生み出すだけかもしれず、そこに対して狂信的になることで、前よりもずっと危険なパワーバランスに突入する可能性を排除はできない。
何が正しいのか、は実はなってみないと分からないことも多いし、いくつかの事象はやはり個人というステークホルダーでは理解しがたいものもある。
現状にとどまらないこと
危機感は非常に大切である。と同時に危機感はアンテナにすぎず、不安を駆り立てるものであってはならない。
ただ、グレート・リセットとはある意味で社会のシャッフルを起こす行為であり、今相対的に見ていい位置にいる人、悪い位置にいる人、それぞれが全く違う位置に突然置き換えられる、という可能性を秘めている。
グレート・リセットが起こるとするならば、それは社会そのものの地殻変動であるため、個人ができるリスクヘッジはそれほど多くないのかもしれない。
とにかく選択肢を広く持つこと、例えばよく言われる、外貨建て資産の保有や現物資産の保有、他国への居住権の取得などは救いになるかもしれないし、ならないかもしれない。
チャールズ・ダーウィンのいう「最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である」に通ずるところはあろう。
当たり前を疑うことはできる
チープな言い方になるかもしれないが、当たり前を疑うことは大切である。世の中の全てのシステムが上手く回っていると仮定すること自体が不自然である。企業だって経営の舵取りを失敗すれば破綻する。国だって同じである。
グレート・リセットそのものが世界に雨を降らせる行為なのだとすれば、雨が降ったのちに固まった地面とはどのようなものなのか、という話である。
ただ続いてきた、や、過去にならえば、という視点ではなく、本当はどのようであるべきなのか、というところを考えられれば、社会としても個人としてもより良い方向に変わっていくことができる。過去と未来の姿に大きな断層があれば、地殻変動を伴うことになる、ということなのだろう。